節分の豆まき 由来と作法

2月になれば、節分の豆まきの儀式があり
「福は内、鬼は外」の掛け声とともに炒った豆をまきます。

わが国古来の儀容時である節分は
いったいいつからどういう意味をもって始まったのでしょうか。

今回の記事においては
節分の意味や由来、豆まきの作法などを紹介いたします。

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節分はどういう日なのか

節分は、雑節の一つで
各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことです。

節分とは「季節を分ける」ことをも意味しています。
江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指すようになりました。
大寒の最後の日であるため、寒さはこの日がピークとなります。

なお、雑節とは、二十四節気・五節句などの暦日のほかに
季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、特別な暦日のことです。

一般に雑節と呼ばれるものは
節分の他に、彼岸、社日、八十八夜、入梅、半夏生、土用、
二百十日、二百二十日があります、

これらに初午・三元(上元・中元・下元)
盂蘭盆、大祓を加える人たちもいます。


節分の悪霊祓いの儀式

節分は季節の変わり目にあたる雑節です。

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており
それを追い払うための悪霊祓い行事が執り行われました。

節分の行事は宮中での年中行事でして、平安時代中期に編纂された格式
(律令の施行細則)の一つである『延喜式』においては
彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾ることになっていました。

この童子の人形は「土牛童子」ともいわれ
大寒の日の前夜の夜半に牛と童子の人形が各門に飾られ
立春の日の前夜の夜半に撤去されました。


Tsuina of Yoshida shrine
By 中島荘陽 [Public domain], via Wikimedia Commons
吉田神社追儺
都年中行事画帖(1928年) – 国際日本文化研究センター所蔵
著・江馬務/画・中島荘陽 (節分)


節分になぜ豆をまくのか?

この節分の悪霊祓いの儀式は
平安時代頃から行われている「追儺」から生まれました。

『続日本紀』慶雲三年十二月の条によると
706年にこの節分の悪霊祓いの儀式が始まりました。
(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」とあります)

そして、室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって
炒った豆で鬼を追い払う行事となっていきました。

節分には豆をまきますが、これは中国の習俗が伝わったものとされています。
豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。

昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって
大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っており
「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて
「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。

近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから
節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり
寺社で豆撒きをしたりするようになりました。]。

節分の豆まきの動画をお借りしてきました。
(平成24年2月3日 ブルーマウス様撮影)
静岡市葵区の臨済寺で行われた節分の豆まき




節分の豆まきの仕方

一般的には「福は内、鬼は外」と声を出しながら福豆(炒り大豆)を撒いて
年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行います。

また、邪気除けの柊鰯などを飾ります。

1447年の「臥雲日件録」には「散熬豆因唱鬼外福内」とあるように
掛け声は通常「鬼は外、福は内」です。

しかし、鬼を祭神または神の使いとしている神社
また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としています。

家庭内での豆まきにおいても、「鬼」の付く姓
(比較的少数ですが「鬼塚」「鬼頭」など)の家庭もしくは
鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多いと言われます。

使用する豆は、お祓いを行った炒った大豆(炒り豆)です。
豆を神棚に供えてから撒く地方もあります。

炒り豆を使用するのは、節分は旧年の厄災を負って払い捨てられるものであるため
撒いた豆から芽が出ては不都合であるためであると言われます。


mamemaki



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